2011年10月14日金曜日

福島で「縄文時代に震度7」 巨大な地割れ“発掘”

掘っても掘っても、底が見えない溝。「まるで地面に開いた大きな口。自分は一体何を発掘しているんだろう?」。1990年秋、福島県相馬市の段ノ原B遺跡を調査していた県文化振興事業団の吉田秀享副主幹は、連日頭を悩ませていた。
 宮城県境に近い丘陵上に広がる縄文時代前期の大集落跡。最も栄えた約6000年前は、約4万7000平方メートルの範囲に約100棟の竪穴住居があった。
 ジグザグに延びる奇妙な溝が現れたのは、丘陵の肩に近いムラ東端。長さ約90メートル、幅4~5メートル、深さ2メートル以上もあり、底から大量の土器や木を燃やした跡が見つかった。
 「地割れですよ」。謎を解いたのは、石材の調査に訪れた地質学者だった。周囲には、地滑りで左右が食い違った地層もあった。
 「地震考古学という言葉も知らなかった。驚きました」。溝の中にあった土器から、地震はムラの最盛期と考えられた。
 段ノ原B遺跡は、宮城県亘理(わたり)町から福島県南相馬市にかけて約40キロ続く双葉断層のほぼ真上。東京電力福島第1原子力発電所に近い断層南側は地質学的調査で約2000年前に動いたことが判明しているが、遺跡を含む北側の活動歴は分かっていなかった。
産業技術総合研究所の寒川旭招聘研究員(地震考古学)は「遺跡に近い断層の一部が動いたとすれば、震度は7に近く、竪穴住居はほぼ全壊しただろう。地割れをがれき処理場に利用し、壊れた住居の廃材などを燃やしたのでは。合理的なやり方だ」と話す。震度7なら、阪神大震災級だ。
 双葉断層は、政府の地震調査委員会が「東日本大震災の影響で地震発生確率が高まった可能性がある」と発表した5つの活断層の一つ。2005年の長期評価では「今後30年以内に地震が発生する確率はほぼゼロ」とされたが、震災後は周辺で誘発地震が続いている。
 地震予知連絡会の島崎邦彦会長は「遺跡の話は初めて聞いた。長期評価は断層南側のデータを基に作ったが、北側は6500年前に動いた可能性が出てきた。最終活動からの時間が長い分、注意が必要だ」と指摘する。
 段ノ原Bムラの人々はどうなったのか。「がれきをきれいに片付け、地震後も半世紀近く住み続けた。昔も今も、人は古里から離れられないものですね」と吉田副主幹。復興への思いは、今の私たちと同じだったかもしれない。

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